豊国男の日記

日常生活の中で、考えついたことを綴ります。テーマは雑多な分野に及びます。

人口減少社会について(賃貸住宅の相場の変化から考える)

日本は人口減少社会に入りましたが、その影響でしょうか、賃貸住宅は以前に比べてかなり借りやすくなっています。

 

私は若い頃、関西で長く暮らしましたので、当時借りていた物件を例にとって説明いたします。

 

今から22年前の1994年(平成6年)に、京都市内の大学に通っておりました。その際に借りたアパートは、7畳ほどの洋室にキッチン、ユニットバス付きの物件でした。家賃は1ヶ月5万4千円で、周囲の物件と比べても妥当な金額でした。

 

この部屋に入居する際、現在ではとても考えられないでしょうが、「礼金20万円・敷金10万円」必要でした。大学の生協であっせんしていただいた物件なので、この物件がボッタクリだったわけではありません。契約期間は1年で、更新時には更新料が10万円かかりました。つまり、2年間この部屋を借りると、戻ってこないお金が30万円(礼金20万円、更新料10万円)かかったわけです。このことを考えると、毎月の家賃は実質6万7千円ほどかかった計算になります。

 

最近、この物件をネットで検索してみたところ、ちょうど入居者を募集しておりました。現在の家賃は4万1千円、入居の際に必要なのは礼金1ヶ月分のみです。物件自体が古くなったせいもあるでしょうが、家賃も入居の際に必要な金額も、隔世の感があります。

 

その2年後の1996年(平成8年)に借りたのは、大阪市内のアパートで、上述の物件とは間取り・築年数・最寄り駅からの距離など、どれも大差ない物件で、家賃は1ヶ月5万3千円でした。

 

この部屋に入居する際には、保証金25万円(敷引20万円)が必要でした。
少し説明しますと、大阪・神戸エリアでは、当時「保証金」という制度が主流でした。
要は礼金・敷金を合わせたようなもので、退去時には一定の金額が引かれることが契約の際に決められていて、それを「敷引」といいました。この物件の場合は、退去の際に20万円が引かれて、5万円が戻ってくるわけです。

 

「保証金」制度が礼金・敷金と違うのは、何年住み続けても更新料のような費用が発生しないことです。

 

上記の大阪市内のアパートも、検索したところやはり入居者を募集しておりまして、現在は家賃が1ヶ月2万5千円、おまけに入居の際は、礼金・敷金・保証金のいずれも必要なしです。ここまでしないと、借り手がみつからないのでしょう。

 

それから3年後、1999年(平成11年)に、神戸市内にアパートを借りました。
最寄りの駅から徒歩1分という便利な物件でした。
間取りは、上記の2つの物件とほぼ同じでした。
家賃は1ヶ月5万5千円、入居の際に必要なのは保証金40万円(敷引20万円)でした。

 

この物件も現在入居者募集中で、現在は家賃が1ヶ月4万3千円、入居の際に必要なのは礼金2ヶ月分(8万6千円)のみです。15年以上経つと、ここまで家賃・入居費用ともに変化するのですね。

 

その5年後、2004年(平成16年)に、同じ神戸市内で引っ越し、借りた物件は、間取りは前の部屋とほぼ同じで、バス・トイレ振り分けでした。最寄りの駅からは徒歩10分ほどかかりましたが、阪急・JRいずれも利用できて、阪急は特急も停車しました。この部屋の家賃は5万5千円、入居の際に必要なのは保証金25万円(敷引20万円)でした。

 

この物件も現在入居者募集中で、現在は家賃が1ヶ月4万7千円、入居の際に必要なのは敷金2万円のみです。

 

こう見てきますと、賃貸物件がいかに借りやすくなったか一目瞭然です。
今後、人口が減るにともなって、ますます借り手優位の状況になることは間違いありません。


賃貸であれば、ローンにしばられることもありませんし、同じ所に住み続けなくてもよいわけですから、転職・転勤もしやすいですし、家族のライフスタイルにともなって住み替えも容易にできます。

 

以前は、「家賃は払い続けても何も残らないが、住宅ローンは払い終わればタダで住めるし、家という資産が残る」と言われていましたが、状況はかなり変化したようです。

 

「現役時代は通勤に便利なところの賃貸で暮らし、老後は中古住宅を格安で手に入れて暮らす」というのが、今後の主流になるかもしれません(今後、特に郊外の中古住宅は、今よりもかなり安く買えるようになります)。

 

何事も不変なものはありませんから、この変化も必然なのでしょう。

地方が衰退する理由について

「地方の衰退」について、マスコミで報じられるようになって久しいです。
シャッター通り限界集落など、ひと昔前にはマイナーだった表現も、すっかり定着しました。


今回のエントリーでは、地方が衰退する理由について考えてみます。


一番大きな理由は、優秀な人材が地方には定着しないことがあげられます。
むろん地方からも優秀な人は出ますが、地方にはそうした人が入学するのにふさわしい大学が少ないことから、多くは大学入学時に都会に出てしまい、そのまま都会に就職します。そうなると、地方に残るのは(非難を覚悟で言えば)彼ら・彼女らより、優秀さでは劣る人が多いのが現実です。優秀な人が少なければ、発展は難しいでしょう。


優秀な人材が地方に定着しない理由は、上記の理由に加え、地方には旧来型の社会が根強く残っていることもあげられます。


例えば、地方の市役所では、採用にあたって地域の有力者のコネがないと難しい、とはよく言われるところです。地方では、大学を卒業した人が、ふさわしい収入を得られる職業といえば、公務員(教員を含む)、もしくは地方銀行くらいしかありません。主な職場である市役所に、コネ採用が横行していれば、優秀な人ほどバカバカしくて敬遠するのは自然な流れです。教員の採用にも、(当事者たちは否定しますが)コネの有無は大きな要素であることは、周知の事実です。


また、地方議会の議員にも、同様のことがあてはまります。
地方の市議会議員になるには、本人の能力よりも、選挙活動に協力してくれるような親類縁者が地元に多くいる人が有利であることは、よく知られています。優秀な人であれば、そのバカバカしさから、地方の市議会議員になどならないでしょう。


このように、優秀な人材ほど、地方からは離れてしまう要素が数多くあります。優秀な人が地域に貢献してくれなければ、衰退するのは当然です。「地方分権」を進めたところで、こうした問題を解決しなければ、結局は効果はないでしょう。

人生において、「やらないほうがいいこと」について

子供が保育園に入れないニュースや、児童虐待のニュースが、繰り返しメディアで取り上げられています。「よくもまあ、これだけ似たり寄ったりの事件が起きるな~」と、なかば感心するほどです。
もはや今の時代、「子供を育てる」ことは、かなりハードルが高くなっているようです。

 

今回のエントリーでは、世知辛い今の時代を生き抜くために、「やらないほうがいいこと」について考えてみます。

 

第一に、よほどの経済的・時間的余裕がなければ、子供を作らないほうがよいでしょう。いくら「保育園作れ」などと声を上げたところで、現実の社会はゆっくりとしか変わりません。社会が変わるのを待つよりは、自分が変わるほうが早く、賢明な選択です。
「子供を作らなくてもよい」「作るのであれば、保育施設が充実した地域への移住も検討する」などと、自分の考え方を変えるのです。

 

第二に、勉強が苦手であれば、大学に行かないほうがよいでしょう。
今や、大学を卒業したからといって、将来有利に事が運ぶわけでもありません。ましてや、少子化の進んだ現在、定員割れを起こしている大学も珍しくありません。こうした大学に4年間通い、数百万円の大金を投じる意味について、親も子供も熟考すべきです。

 

高卒で就職して、早くから仕事を覚え、お金を稼ぐことと、大卒でもフリーターになってしまう可能性もあることを比較検討して、どちらが自分に(子供に)とってより良い選択か、親子でよく話し合うとよいでしょう。
また、今は高卒で就職する人は少数派なので、就職の際に「売り手市場」である状況も、当面続くと期待できます。

 

第三に、旅行にお金をかけるのも、しないほうがよいでしょう。
旅行が好きな方は、「色々な場所に旅行することで、見聞を広め、視野が広がる」などと主張しますが、実際そうなっているのでしょうか?周囲の旅行好きな方々をよく見てください。そのような人は、ごくわずかでしょう?
だとすれば、旅行はほとんどの場合、浪費に終わっているわけです。

 

そもそも、旅行に行ったにしても、実際に知り合って、話ができる人の数など限られています。そのような経験で、「視野が広がる」でしょうか?視野を広げるためには、たくさんの本を読んだほうがよほど効果的です。書店で売られている本の著者には、自分が直接会って話すことなど叶わない立場の方も数多くいます。そのような方々の考え方も、本を読むことで学べます。しかも本を買うのは、旅行より格段に安い投資です。

 

人生の時間も、手にすることのできるお金も、限られています。それらのものを有効に活用するためにも、「やらないことを決める」のが第一です。

「保育園落ちた 日本死ね」について

昨夜のテレビで、「保育園落ちた 日本死ね」というタイトルのネット書き込みが話題になっている、とのニュースがありました。

 

その書き込みをした方は、どうやらご自身の子供を保育園に入れようとしたものの、入れなかったようで、そのことに対する私憤を書き連ねています。

 

「オリンピックで何百億円無駄に使ってんだよ」
「エンブレムとかどうでもいいから保育園作れよ」
「保育園増やせないなら児童手当20万にしろよ」
「保育園も増やせないし児童手当も数千円しか払えないけど少子化なんとかしたいんだよねーってそんなムシのいい話あるかよボケ」
「まじいい加減にしろ日本」

 

表現に多少過激な点もあるものの、待機児童の問題を如実に表していることは間違いありません。

 

待機児童の問題は地域差が大きく、主に都市部で深刻なようです。
例の書き込みを取り上げたニュース番組でも、地方でのインタビューでは、「このあたりでは、待機児童の問題はあまり聞きませんね」という声がありました。

 

考え方としては、子供を作って育てたいのであれば、保育設備の充実した地域に住むか、あるいは保育設備が充実していない地域を何らかの事情で離れられないのであれば、子供を持つことをあきらめるのが、現時点で取りうる最も現実的な対策でしょう。

 

例の書き込みをした方も、本気で子育てをしたいのであれば、地方移住も視野に入れれば、可能性は広がります。保育設備の充実した地域に住めば、働きながら子育てもできるでしょう。

 

もちろん、社会をより良く変えていくための行動は必要です。そうした力があってこそ、少しずつでも社会はより良く変わることは間違いありません。

 

しかし、社会が変わるには長い時間を要します。それまでは、今の枠組みの中で自分のできることをするしかありません。

 

また、社会を変えるには、選良たる政治家選びを間違えてはいけません。
いかに現在の政治に不満があろうと、その政治家を選んだのは私たち国民自身であることを忘れてはいけません。


選挙の投票は、私たちが直接政治に関われるまたとないチャンスです。決して安易に考えることなく、賢い視点を持って投票しましょう。そのことが、社会をより良く変えていくための第一歩です。

まだ婚活で消耗してるの?

職業にも栄枯盛衰があり、時代ととともになくなる職業、また新しく生まれる職業があります。

 

例をあげれば、昔は鉄道の駅の出入り口で、乗車時には駅員さんが切符を切り、下車時には回収していました。今は自動改札機が普及し、地方の小さい駅でなければ、駅員さんが直接切符を切ったり回収したりすることもありません。

 

新しく生まれた職業としては、結婚情報サービス業者、いわゆる婚活業者があげられます。昔、見合い結婚が多かった頃には、おそらくなかった業種でしょう。当時は、親戚のおばさんか誰かが見合い話を持ってきて、その流れに乗っていれば結婚できたのです。

 

前回は子育てについてでしたが、今回のエントリーでは、その前段階である結婚について考えてみます。

 

現在70代以上の方は、ほぼ全員が結婚する、「皆婚社会」でした。
ところが今や、生涯未婚率は男性が約20%、女性が約10%です。
未婚率の上昇に伴い増加した、「結婚したくてもできない」人をターゲットにして商売をするのが婚活業者です。

 

ケチをつける気は毛頭ありませんが、はたして結婚とは、婚活業者に大金を投じてまでしなければならないものでしょうか?

 

「結婚したくてもできない」人は、要は相手がなかなか見つからないのでしょう。
だとすれば、無理して相手を見つけようとするよりも、少し視点を変えて「結婚しないことのメリット」にも目を向けてはいかがでしょうか?

 

「結婚しないことのメリット」としては、第一に「自由でいられる」ことがあげられます。既婚者に比べれば、精神的にも、経済的にも、独身者は自由です。

 

第二には、独身で身軽であれば、転勤や転職も容易です。家族の了解を得たり、子供の教育を理由に単身赴任(要は家族別居生活)をしたりする必要もありません。自分一人生活するに足る収入が得られれば、思い切った行動が取れます。年功序列・終身雇用型の日本的雇用慣行が崩壊した現在、このメリットは大きいです。

 

第三には、第一のことにも関連しますが、家を買ったり子供を養育したりする費用がかからない分、自分のやりたいことに時間とお金を使えます。もはや右肩上がりで収入が伸びることは期待しがたい今の時代に、こうした恩恵を受けるには、扶養家族がいては難しいでしょう。

 

「結婚しないことのメリット」に目を向ければ、婚活業者に大金を投じる必要があるか否か、熟考できます。その上で、「やはり結婚したい」のであれば、そうした業者を活用するのも一つの方法です。その結果、結婚相手が見つかるかどうかは保証の限りではありませんが。

 

物事にはたいがい、「メリット」と「デメリット」の両面がありますから、そのどちらも冷静に見た上で、判断を下しましょう。このことは結婚のみならず、ほかのことでも同様ですが。

まだ子育てで消耗してるの?

今回のエントリーのタイトルは、イケダハヤト氏のブログ「まだ東京で消耗してるの?」をヒントにさせていただきました。イケダ氏ご自身が「どんどん利用してください」とおっしゃっていますので、遠慮なくパクらせていただきます。

 

最近は珍しくなくなりましたが、またも児童虐待のニュースがありました。
22歳の母親が、3歳の娘さんに熱湯をかけて火傷を負わせ、結果死亡させてしまったとのことです。

 

こうした報道を見聞きするにつけ、今の日本にいかに育児能力のない親が多いかを実感します。今回逮捕された母親は、10代で親になっています。こうした事件を起こしたことから、未熟なうちに子供を作ることの愚かしさを考えずにはいられません。

 

少子化の問題がかまびすしく議論されていますが、子供を作りさえすればよいわけではないことも、大いに議論されるべきです。

 

児童虐待が報じられる際、識者の見解も述べられますが、「子供を作りさえすればよいわけではない」とは、立場上やはり発言できないのでしょうか(あるいは、そうしたコメントは編集の際にカットされてしまうのでしょうか)?

 

少し視点を変えまして、自分の人生に子育てが本当に必要なのか、皆が再度熟考してもよいのではないでしょうか。

 

今時、「子供に老後の面倒をみてもらう」ために子供を作る人もいないとは思いますが、だとすればなおさら子供を作る必要性について熟考すべきです。

 

子供を一人前の大人に育て上げるためには、約20年の長い時間と、決して少なくはない額のお金がかかります。おまけに、今は高校・大学の新卒者でも、非正規雇用にしか就けない人も珍しくありません。そうなると子供は、生活の基盤を親に頼って生きることになります。

 

これだけの苦労をして子供を育てても、一人前に自活できるようになるのは難しい、おまけに自分の老後の面倒もみてくれないのであれば、一体何のために子供を作る必要があるのでしょうか?

 

もちろん価値観は人それぞれですから、「それでも私は子供が欲しい」のであれば、そうした方は作ればよいでしょう。

 

しかしながら、そうした考え方は「どこの大学にも受からなくても、受験勉強をすること自体に意味があるから、受験勉強をしたほうがよい」というようなもので、あまり賢明なようには思えませんが、いかがでしょうか?

 

人生の時間や、手にすることのできるお金は有限です。その限られた資源を、いかに有効に活用できるか、そうしたことをきちんと考え、行動できる能力こそ、現在の低成長時代に必要なのではないでしょうか?

お年玉の使い方について

明けましておめでとうございます。
今年も「豊国男の日記」をよろしくお願いいたします。

 

お正月といえば、「お年玉」です。
子供たちにとっては、普段手にできない大きな額のお金を手にする機会です。
今回のエントリーでは、子供たちの金銭感覚を養うための、お年玉の活用方法を考えてみます。

 

小さい頃、親から「お年玉は貯金するように」言われていた人は多いと思います。
確かに正しい教育ですが、お金を手にするせっかくの機会ですから、もう一歩踏み込んで考えてみます。

 

最初に、もらったお年玉の総額と、「今、一番欲しいもの」の値段を比べます。
お年玉で買えるのであれば、せっかくの機会ですから買いましょう。残りは手堅く、貯金するのが良いでしょう。

 

大人から見ればつまらないようなものでも、子供には「高いお金を払って、~を買えた」という思い出が残ります。仮にその買い物に満足できなかった場合でも、そうした経験を積み重ねて、「お金を使うこと」と「物の価値」について学ぶことができます。この経験はとても大切です。将来大人になったときに、「高いけど、どうしても欲しいから、頑張ってお金を貯めてでも買う」か、「欲しいけど、どうしても、というほどのものではない」かの判断は、こうした経験をある程度積まないとできません。

 

今後は特に、給与が右肩上がりで伸びることは期待しにくい現状があります(人によっても違いますが)。そうした状況にあって、「お金を使うか、否か」の判断はとても重要です。大人になってからは、子供を作るか作らないか、家を買うか買わないかなど、人生を大きく左右する選択に幾度も直面します。その際に適切な判断ができないと、重大な局面で「何となく」選んでしまい、取り返しのつかないことになってしまいます。

 

大きな失敗を避けるためにも、子供の頃からの「小さな失敗」は、恐れずにしておきましょう。安全そうな道ばかり歩いていると、結果として大きな代償を払うことになります。