豊国男の日記

日常生活の中で、考えついたことを綴ります。テーマは雑多な分野に及びます。

「能力の高い人」の「選択の自由」について

私たちは生きていく上で、数多くの選択をしながら生きています。
進学する学校を選ぶ、就職先を選ぶ、結婚相手を選ぶ、といったあたりは、かなり大きな選択です。今回のエントリーでは、「選択」について考えてみます。

 

一般的に、「能力の高い人ほど、選択の幅が広い」と考えられています。
しかし、よく見ますと、必ずしもあてはまりません。

 

例をあげますと、成績の良い中学生が受験する高校を選ぶ際に、「その近辺で一番偏差値の高い高校」を選ぶことがほとんどでしょう。仮にその中学生が、「会計やパソコンに興味があるから商業高校に行きたい」、「電気や機械に興味があるから工業高校に行きたい」、「植物や野菜の栽培に興味があるから農業高校に行きたい」と希望しても、周囲の大人(親や教師)が反対するのではないでしょうか?本人によほど強い信念があり、周囲の大人を納得させられるだけのものがなければ、成績の良い中学生が職業系の高校に進学することはないでしょう。こう見ますと、能力が高くても、選択の幅が広いわけでもありません。

 

同様に、一流大学を卒業した学生が、大手企業や役所以外に就職を希望しても、やはり周囲からは「考え直したほうがよくないか?」という反応が返ってくるのではないでしょうか?「将来飲食店を経営したいから、修行のために飲食店で働きたい」、「早くに独立して会社を経営したいから、ベンチャー企業に入社したい」などと希望しても、「今までしてきたことが無駄にならないか?」などど諭されるのが、一般的な反応でしょう。

 

結局のところ、能力の高い人は高い人なりに、選択の幅は限られています。
それでも、「能力の低い人の選択の幅が限られていることに比べれば、まだ恵まれている」という意見はあるでしょう。確かにそのようにも考えられますが、「思い切ったチャレンジをするのが、なかなか大変である」ことを考えれば、必ずしも良いことばかりでもないような気もしますが、いかがでしょうか?