豊国男の日記

日常生活の中で、考えついたことを綴ります。テーマは雑多な分野に及びます。

私たちの社会は、明らかに進歩しています

新聞や雑誌、テレビなどで、「生きづらさ」について取り上げられることがあります。
昔と比べて、今は生きづらくなっているようです。

 

確かに、非正規雇用の拡大と、それに伴う収入格差の拡大、貧困の問題、歯止めのかからない少子高齢化、他にも近年はやや減少したものの、自殺で亡くなる人もまだ多いなど、私たちの社会には様々な問題が山積しています。

 

こうした個々の事実を取り上げると、「生きづらい」社会であるのは間違いありませんが、今回のエントリーでは、「昔より良くなった点」について考えてみます。

 

最も「昔より良くなった点」といえば、多様性が認められるようになってきたことです。以前のように、多くの人が似たような生活パターンだった頃には、「学校を卒業したら正社員として就職し、20代で結婚して2人くらいの子供を育てる」といったモデルケースがありました。

 

しかし今や、30歳を過ぎても結婚しない人は珍しくありませんし、またそのことに対する世間からのプレッシャーも昔ほどではなくなっています。「結婚は、したい人はすればよい」といった考え方も、かなり浸透してきました。

 

皆が結婚した時代には、「父親が働いて経済的に家族を支え、母親が家事・育児を行うことで家庭面で家族を支える」といった家庭がほとんどで、それ以外の生き方は認められませんでした。


例えば、「自分は家族を養うよりも、趣味のほうに時間やお金を費やしたい」と希望した人は昔もいたのでしょうが、当時はよほど強い信念を持っていなければ、そうした生き方を貫くことは不可能でした。

 

今では、「生活のための仕事は最小限にして、自分の楽しみのために時間を使う」生き方をしている方もおられますし、「学生や主婦のパートでなければ、正社員で働くのが普通」だった時代に比べれば、フリーターで居続けることも容易になっています。
望めば、家庭や会社にしばられない生き方ができるようになった点は、明らかに昔よりも良くなった点です。

 

もちろん、その裏には「結婚したくてもできない」、「正規雇用を希望しても就けない」方が数多くおられますが、「結婚にこだわらない」、「フルタイムの仕事は自分の時間が取れなくて嫌だ」という方にとっては、むしろ生きやすくなっています。

 

「少数派の意見も認められるようになった」ことは、それだけ私たちの社会に奥行きが出てきたということで、昔より進歩した証拠です。問題になっている「ヘイトスピーチ」などは、いわば「異質な者を認めない」典型ですから、そうした考え方がいかに危険かは多言を要しません。

 

「周囲の人たちと同じである必要がなくなった」ことは、大いに歓迎すべきことです。
今後ますます多様性が認められるようになれば、より生きやすい社会になるでしょう。