豊国男の日記

日常生活の中で、考えついたことを綴ります。テーマは雑多な分野に及びます。

「練習はうそをつかない」

夏の甲子園の真っ最中です。今年は、現在の高校野球の前身である「全国中等学校優勝野球大会」の第1回が1915(大正4)年に行われてから、ちょうど100年です(途中、太平洋戦争による中止がありますので、今回の大会が第97回となっています)。

 

高校野球の特集誌などでよく見かけるのが、今回のエントリーのタイトルでもあります「練習はうそをつかない」という言葉です。野球のみならず、スポーツ全般でよく言われているようです。

 

この言葉を見聞きすると、甲子園に出るようなチームの監督さんや選手たちであるからこそ、説得力を持つように聞こえます。確かに彼らは、日ごろの厳しい練習の結果、甲子園という大舞台に立てたことは間違いありません。

 

しかしながら、この言葉の意味をよく考えてみますと、「練習すれば(その人なりに)上達する」という意味でとらえたほうが、より正しいような気がします。つまり、練習という努力は、素質を開花させるためにむろん必要ですが、(非難を覚悟で言ってしまえば)「才能のない人が努力しても、才能があって努力している人のようにはならない」ということです。

 

身もふたもない話ですが、誰でもなんとなくは気づいていると思います。実際、勉強を例にとっても、学校の授業を受けるだけで、特に学習塾に通ったりしなくても、良い成績が取れる子もいれば、学校の授業をきちんと受けたうえで、学習塾に通って勉強しても、さほど成績が良くない子もいます。この差はどこから生じるかといえば、やまり生まれ持った能力の差にほかなりません。

 

大事なのは、自分が人より優れているものを見つけ出し、そのことで努力することではないでしょうか?人より劣っていることで努力するよりも効率が良く、幸せになる近道かと思いますが、いかがでしょうか?