豊国男の日記

日常生活の中で、考えついたことを綴ります。テーマは雑多な分野に及びます。

借金すべきでない理由について

当ブログでは、「長期の住宅ローンは組むべきではない」ことを再三にわたって述べてきました。その理由は、「今や、30年もの長期にわたって、きちんと借金を返し続けることが、半ば奇跡のようなものだから」です。これだけ変化の激しい時代に、長期の住宅ローンを組むなど、もはや自殺行為です。

 

今回のエントリーでは、「住宅ローンでなくとも、借金はすべきでない」ことについて説明いたします。

 

「借金してはいけない」理由は、もはや右肩上がりで収入が伸びることが期待できないことと、デフレ経済の脱出口が見えないことです。

 

借金をすれば、後で金利をつけて貸し主に返済しなければなりません。収入が伸びないのに借金の返済をしていれば、その分自由に使えるお金が減ります。生活レベルを下げることがいかに困難かは、説明を要しないでしょう。

 

また、かつてのインフレ時代であれば、借金をしてもインフレの進行とともに元金の価値も下がりましたから、借金をすることにも合理性はありました。例えば、大卒の初任給が5万円の時代と10万円の時代とを比べれば、お金の価値は半分になっていますから、借金元本の価値も半分になったわけです。

 

ところが、デフレ経済が長く続く現在、初任給は長きにわたって少しずつしか伸びていません。大卒初任給が今の半分だったのは、相当に昔の話でしょう(30年以上前くらいでしょうか?)


要はお金の価値がほとんど変わっていないわけですから、借金を返済することは昔よりもはるかに負担が大きくなったわけです。

 

収入の伸びがなく、借金元本の価値も目減りしない中で、借金をすれば後でどうなるか、いくら考えても考えすぎることはありません。

 

欲しいものがあったら、まずはお金を貯めてから買うべきです。借金しないと買えないようなものは、分不相応なものなのです。分不相応なものを手に入れて、後で生活が苦しくなるなど、バカバカしくありませんか?

「結婚しない」、「長期の住宅ローンを組んでまで、家を買わない」という賢明な選択(2)

前回のエントリーでは、「結婚しない」、「家を買わない」ことが賢明な選択であることについて説明しました。
今回は、もう少し踏み込んだ説明をしてみます。

 

「家を買わない」のが賢明な選択である理由として、一番大きいのが「転勤・転職のフットワークが軽くなる」点です。家を買ってしまえば、その家にある意味しばられてしまいます。転勤を命じられても、簡単に家を売ったり貸したりできるとは限りません。


転職をするにも、「家から通える範囲内で」、「住宅ローンを無理なく払える範囲内で」するしかありません。

 

また、賃貸であれば、ライフステージの変化に応じての住み替えも容易にできます。子育て中は部屋数の多い物件に住み、子供が巣立ってからは夫婦が暮らすのに充分な物件に移ればよいのです。長期ローンを組んで家を買うのは、まだ子育て中の場合が多いでしょうから、まさか2LDKのマンションというわけにもいかないでしょう。

 

しかし、部屋数の多い物件を買ったところで、子育てが終わった後は無駄に広い家に夫婦で暮らすことになります。家を売って住み替えるにしても、住宅ローンが終わったような古い物件はさほど高い値段で売れません。今後日本の人口が減るに従って、古い物件はますます売りにくくなります。

 

また、今後日本の人口は減っていくのですから、賃貸住宅の空き部屋を見つけるのも、年を経るごとに容易になっていきます。

 

「賃貸住宅の家賃を払っていたら、年金生活になってから家を買おうと思っても、お金が残らないではないか」との声が聞こえてきそうですが、長期ローンを組んで家を買った場合、かなりの額の金利を支払う必要があります。元本と金利の合計金額を考えれば、現役時代は賃貸住まいを続けて、定年後に夫婦が暮らせるくらいの家を買うほうがむしろ安上がりではないでしょうか?

 

こう考えますと、30年ものローンを組んで家を買う意味が、ますますわからなくなってきました。

 

ここまでは、「家を買わない」ほうが賢明な選択である理由を考えてみました。
次は、「結婚しない」ほうが賢明な選択である理由についてです。

 

そもそも結婚しなければ、単身者のアパートに住めばよいのですから、家を買おうなどと考える必要もありません。また、子供を養育する費用も学費もいりませんから、自分一人が生活できる収入さえ得られれば、嫌な仕事には早くに見切りをつけて、転職することも可能です。「仕事に費やす時間は最低限にして、自分の楽しみのための時間をたっぷり取る」生活も、希望すればかなうでしょう。

 

他にも、結婚しなければ子供を育てなくてよいのですから、子供の教育や就職のことで悩む必要もありません。今や大学を卒業しても、正規雇用の職に就けるとは限りません。子供がいなければ、生きていく上での余計な心配事も減ります。

 

そもそも、テレビや新聞でしばしば目にする「子供の貧困」問題にしても、甘い見通しで結婚し、子供を作り、結果として起きた問題です。もちろん、親の失業や病気などで貧困におちいってしまった家庭もあるでしょうが、ごく一部でしょう。多くは、結婚や子育てに対する甘い見通しの末に、離婚して片親となり、貧困になる、といったパターンではないでしょうか?

 

こう考えますと、結婚して子供を作る意味が、ますますわからなくなってきました。

 

とはいえ、人生の選択は本人の決断いかんですから、「自分は長期ローンを組んででも家を買う」「結婚して子供を作る」というのであれば、どうぞご自由に。
そういう方は、デフレ経済の長期化で給与所得の伸びも期待できない中、ぜひとも高い金利を銀行に支払い、転勤や転職があっても頑張ってマイホームから通い、家族のために嫌な仕事も我慢し、住宅ローンと子供の養育費・教育費のために自由になるお金もあまりなく、「結婚が失敗だった」と思っても離婚せず、将来は子供がきちんと経済的に自立できる職業に就けるよう、親子ともども頑張ってください。陰ながら応援しております(笑)

「結婚しない」、「長期の住宅ローンを組んでまで、家を買わない」という賢明な選択

昔に比べて、社会状況が変化するスピードはかなり速くなっています。

 

社会状況が変われば、それに伴って個人も考え方を変えていかなければなりませんが、「言うは易く行うは難し」です。

 

具体例をあげれば、「30年ローン」です。今の時代に30年ものローンを組んで家を買うことに、どれだけのリスクがあるのか、実際にローンを組む人は熟考しているのでしょうか?

 

以前は、給与所得も家の値段も右肩上がりでしたから、借金して家を買うことにも合理性がありました。また、終身雇用制度もありましたから、長年のローンも組めたわけです。

 

しかし今や、終身雇用制度は崩壊し、デフレ経済の長期化で給与所得も右肩上がりではなくなりました。社会状況が昔とは大きく変化したわけです。

 

にもかかわらず、個人が考え方を変えられないため、30年ローンを組んで家を買う人がまだ大勢いるわけです。30年もの長きにわたり、勤務先が倒産することも、リストラにあうことも、給与カットされることもない、おまけに子供は学校を卒業したらきちんと経済的に自立できる職業に就けて、親の介護もほとんど必要がない、非常に恵まれた人たちなのでしょう(笑)

 

「家を買わなければ、年金暮らしになってからも家賃を払い続けなければならないではないか」との声が聞こえてきそうですが、今後年を経るごとに、住宅は手に入れやすくなります。理由は言わずもがな、日本の人口が減っていくためです。

 

現に今でも、空き家問題がテレビや新聞で盛んに取り上げられています。空き家が増えれば、今よりも安く家が買えるようになるのは、自明の理でしょう。

 

「安く買えるようになるのは地方の話で、都心の一等地の不動産は安くならない」ですって?年金暮らしになっても都心の一等地に住む必要のある人が、どれだけいるのでしょうか?

 

通勤が不要な年金暮らしなっても、都心に住む必要がありますか?むしろ、通勤が不要になれば、郊外の自然に恵まれた環境のほうが住みやすくありませんか?

 

そう考えると、いったいどんな必要があって30年ものローンを組むのでしょうか?

 

現役時には通勤に便利なところに賃貸を借り、老後は郊外に安い家を買って暮らせばよいではありませんか。

30年ものローンを組んで、通勤に不便なところに家を買い、長時間通勤するより、よほど賢明な選択だと思いますが、いかかでしょうか?

 

また、「家が必要」だと考えるのは、「家族のために必要」だと考えている場合が多いと思いますが、そもそも結婚しなければ、単身者用のアパートに住めばよいので、家を買う必要もないでしょう。そう考えれば、「結婚しない」というのも、賢明な選択として浮かび上がります。

 

「いつまでも独身では寂しいではないか」という声が聞こえてきそうですが、今や結婚した夫婦の三組に一組は離婚します。

 

実際に身近であった話ですが、結婚して子供が生まれて、家を買ってまもなく離婚した夫婦がいます。この夫婦は、奥さんが子供を引き取って家を出て、買った家には旦那さんが一人で暮らし、本来夫婦共働きの収入で支払うはずだった住宅ローンを旦那さんが一人で払っています。はたして、この結婚で誰が幸せになったのでしょうか?一番幸せになったのは、家を売った不動産会社と、住宅ローンを貸した銀行です(笑)

 

これからの時代、「結婚しない」、「長期のローンを組んで家を買わない」賢明な選択をした人が、結局は「勝ち組」になる可能性大です。

 

「そんなわけはないだろう」とお考えの方、どうぞ離婚することのない幸せな結婚をして、長期の住宅ローンを組んで家をお買いになり、無事完済してください。陰ながら応援しております(笑)

国をあてにするよりも、個人が知恵をしぼりましょう

新聞の投書欄を読んでいると、政治や社会に対する不満がしばしば掲載されています。
その多くは、政権与党に対する不満です。

 

先日、参院選の予測についての分析が紙面に掲載されましたが、どうやら今回も、与党の大勝に終わりそうな気配です。

 

この国の有権者は、政治に不満があっても自民党公明党に投票するのをやめないようです。その理由は、以前の民主党政権で、「子ども手当を月2万6千円支給」「高速道路の無料化」といった公約を反故にされた経験があるからでしょう。

 

民主党政権の一番の功績は、「この国にお金はない」ことを国民皆に知らしめたことではないでしょうか?国家予算の約半分を借金(国債)でまかなっている状況ですから、少し考えればわかることですが。

 

少子高齢化が一段と進む中、もはやどの政党が政権を取っても、国民の負担は増すばかりです。安倍総理が、消費税10%への引き上げ延期を打ち出しましたが、それに伴う税収不足のために何らかの福祉が削減されるのは火を見るより明らかです。

 

となると、年金・医療についても、今以上に「負担は重く、受益は少なく」なることは確実です。国をあてにするよりも、個人が貯蓄するなどして、備えるのが賢明でしょう。

 

しかし、皆がそのような生活をすれば、個人消費はますます冷え込みますから、経済が上向きになるのも望み薄です。今後は、右肩下がりの時代をいかに生きるか、皆が知恵をしぼらなければならない時代が来るのでしょう。

「給付型奨学金」の問題から、大学教育について考えること

来月の参院選での公約に、「給付型奨学金の拡充」を掲げる政党が多いです。
大学に進学するにあたり、経済的事情で進学を断念するようなことを少しでも減らそう、という思惑なのでしょう。

 

多くの学生が利用している「日本学生支援機構」の奨学金はすべて貸与型で、卒業後に返済しなければなりません。現在、大学を卒業しても非正規雇用のような収入の低い職にしか就けず、返済が滞っている例は少なくないようです。テレビのドキュメンタリー番組では、奨学金返済のために風俗産業で働く女性のことが取り上げられたりしています。

 

「給付型奨学金」の問題を考えるにあたり、支給対象をどのような学生にするか、が大きな問題点になります。
現行の制度では、数少ないながらも存在する「給付型奨学金」は、かなり成績が良くないと受けられません。もっとも、奨学金の意義を考えれば、当然のことですが。
仮に、「給付型奨学金」の拡充が実現されたとしても、財源その他のことを考えれば、恩恵を受けられる学生はさほど多くはならなさそうです。

 

「大学に進学したい、しかし家庭の経済状況は芳しくない」という場合、実現するかどうかあやふやな制度をあてにするよりも、考え方を変えてはいかがでしょうか。

 

大学には、通信制のものもあります。通信制の場合、独学でレポート課題に取り組まなければならないなどの難点はありますが、費用は一般の大学に比べれば格安です。しかもスクーリングに出席する場合を除けば、基本的に通学しなくてもよいため、高卒で働きながら、地元で暮らしても大学教育を受けられます。こうしたものを活用してはいかがでしょうか。

 

通信制では大学卒と扱われない」などといった声もありますが、名もない大学に数百万円を支払い、ほとんど勉強せずに卒業しても、まともな大学卒としては扱われませんし、身につくものもあまりないでしょう。
そもそも、大学に進学するのは勉強するためなのでしょうから、その点でいえば通信制大学はコストパフォーマンスはかなり高いです。

 

今後の時代、「皆が大学に行くから自分も行く」といった考え方では危険です。自分にとって、大学教育が本当に必要かどうかを熟考し、必要であればそのための手段を考える、という姿勢が不可欠です。こうした姿勢が、よくいわれる「生きる力」につながるのではないでしょうか?

不満があっても声を上げなければ、何も変わりません

舛添東京都知事が辞職を表明しました。
東京では、猪瀬前知事に続き、2代続けて政治資金がらみの知事辞職です。

 

このあたりで、いいかげん気づきましょう。
テレビで有名な方であっても、政治家として適任かどうかは別問題です。

 

もっとも、有権者も甘く見られている節はあります。
「著名人であれば票は取れる」との政党の思惑に、まんまと乗せられているわけですから。

 

東京都民の皆様、ぜひ次回は熟考の上、良い知事を選んでください。

 

話は変わりまして、「声を上げること」についてです。
昨年の安保法制以来、各地でデモが数多く行われています。

 

しかし、こうした動きに対して、「あんなことして何になる」などと、冷めた見方をする人が少なくありません。

 

確かに、デモをしたからすぐに何かが変わるわけではありません。
ところが、不満を持つ人たちが何も声を上げなければ、その不満は気づかれることさえありません。

 

待機児童の問題にしても、一人の主婦が匿名ブログで声を上げたことが、あれだけ大きな反響を呼んだことは記憶に新しいところです。

 

もう少し身近な例でいえば、気になる異性がいても、自分から声をかけなければ何も始まりません。その方から声がかかることを待っているだけでは、よほどの奇跡でも起きないがぎり、事態が進展することはないでしょう(こちらの例のほうが、腑に落ちる方は多いかもしれませんね)。

 

まもなく参院選が行われます。
私たちの声を国政に届けるチャンスです。
このチャンスを有効に活用できるように、賢い有権者になりましょう。

「しなければならない」と考えると、人生は生きづらくなります

更新がご無沙汰になってしまいました。
最近、私生活で大きな変化があり、なかなかブログの更新に手が回りませんでした。

 

今回は、「生きづらさ」についてです。

 

生きていると、色々と困難に直面します。
その原因は、どこにあるのでしょうか?

 

おおむね、「~しなければならない」という考え方にとらわれていることが原因ではないでしょうか?


例えば、
「大学に行かなければならない」
「就職しなければならない」
「幸せになるためには、結婚しなければならない」
「家族のためにも、家を買わなければならない」
「子供には、きちんと教育を受けさせなければならない」

など、人生には「しなければならない」ことがたくさんあるようです。


しかし、こうしたことを、本当に「しなければならない」のでしょうか?
むしろ、「しなければならない」と考えることで、自分をしばりつけているのではないでしょうか?

 

そもそも、「しなければならない」と考えていること自体、「それほどしたくない」証拠です。皆様も、ご自身を振り返ってみて、本気でやりたいことであれば「しなければならない」などと考えませんよね?

 

本気でミュージシャンになりたい人は、「ならないといけないと考えたから」ミュージシャンを目指すのでしょうか?音楽が好きでたまらないから、音楽に打ち込んでいるうちに自然と「ミュージシャンになりたい」という希望を持つようになったのではないでしょうか?

 

どんなことでも、「好きでたまらないから」やっている人と、「しなければならないと考えているから」やっている人とでは、モチベーションに大差があります。後者の場合、要は「嫌々やっている」わけですから、生きづらくなるのは当然でしょう。

 

自分の人生をより生きやすくするためにも、「しなければならない」と考えていることは、早いうちに見切りをつけることです。
もちろん、最低限生活していくだけの収入は得なければなりませんが、それ以外の余計な「しなければならない」ことを捨てれば、人生はより楽しくなるはずです。