豊国男の日記

日常生活の中で、考えついたことを綴ります。テーマは雑多な分野に及びます。

「生産性」について

当ブログ、約1年ぶりの更新になります。

今後、またゆるやかに更新いたします。

よろしければお付き合いください。

 

自民党の某議員が、「LGBTの方々に、税金を費やすのはいかがなものか」といった趣旨の記事を雑誌に寄稿し、そのことに対する批判が起こっています。

この議員いわく、「LGBTの方々は子供を作らないのだから、生産性がない」とのことらしいです。

 

こうした発言をする方には、自分とは違う生き方を選んだ(選ばざるをえなかった)方々に対する想像力が欠落しています。

「生産性がない」という、かなり抽象的な言い回しですが、「子供を作らない」のが「生産性がない」のであれば、不妊に悩む夫婦も、あるいは当人たちの合意で子供を作らないことに決めた夫婦も、「生産性がない」ことになります。

 

この議員は、「政権を長年担当しながら、国民の生活を良くできない自民党の議員には生産性がない。その議員のために、税金を費やすのはいかがなものか」と主張する人に、どう反論するのでしょうか?

 

「障害者は不幸を作り出すことしかできない」と考え、障害者施設の入居者方の大量殺人に及んだ男がおりますが、この事件の容疑者には「自分も事故や病気で、障害者になる可能性」について考える想像力がありません。だからこそ、自分が以前勤務していた施設の方々を殺すまでに至ったのでしょう。

 

同様に、例の議員も、「自分が価値がないと考える生き方を、何らかの事情で、いずれ自分がしなければならなくなる」可能性については想像が及びません。だからこそ、上記のような記事を雑誌に寄稿したのでしょう。

 

そもそも政治家は、特定の人の利益のために働いているわけではありません。国民全体のことを考え、良い政策を実行するために、多額の歳費が費やされているはずです。そのことを承知できない例の議員は、中学や高校で、公民の時間は居眠りばかりの「生産性がない」時間を過ごしてきたのでしょう。

 

とはいえ、こうした議員が当選したのは、私たち有権者が投票したからにほかなりません。

私たちが賢くなり、与えられた権利を的確に行使することが、より良い社会に暮らすためには不可欠です。