豊国男の日記

日常生活の中で、考えついたことを綴ります。テーマは雑多な分野に及びます。

「子供の貧困」問題よりも考えるべき問題について

前回のエントリーでは、「子供の貧困」問題について取り上げました。
「子供は、きちんと育てられるだけの経済力・その他の能力がある人だけが作るべき」という結論でした。

 

実際、「子供の貧困」問題ではあまり取り上げられませんが、この問題は親の認識の甘さに原因がある場合も少なくありません。

 

結婚するのも、子供を作るのも、自分が希望して、自分の意志でしたはずです。さらには「子供の貧困」問題の大きな原因となる離婚も、親が自分の意志でしているわけです。

 

自分が希望して子供を作ったのですから、子供が一人前の大人になるまでは、どんなことをしてでも育て上げるのが親の責任のはずです。むやみに社会福祉やその他の世話になろうと考えるのであれば、最初から子供を作るべきではないのです。

 

もちろん、急な病気や事故などで不慮の事態におちいることはあります。しかし、そうした世帯が6分の1(おおむね、このくらいの割合の子供が貧困状況です)もあるでしょうか?

 

「子供に罪はない」といえば、確かにそのとおりですが、私たちの社会にはそれよりも大きな問題が、ほとんど顧みられることなく残されています。「障害者福祉」の問題です。

 

マスコミで大きく取り上げられる「子供の貧困」問題に比べて、「障害者福祉」の問題はほとんど目立ちません。本人の責任でない点を考えれば、どちらも同様のはずです。第一、好きこのんで障害者になった人など一人もいません。

 

ところが、障害者に対する福祉は、貧弱の一言に尽きます。障害があっても、障害年金だけで生活することはほぼ不可能です。

 

よりわかりやすい具体的な例をあげれば、聴覚障害があっても、補聴器を買うにあたって、社会福祉から出る補助は本当に微々たるものです。たとえ両耳に障害があっても、補助が出るのは片耳の分のみです。おまけに、医学的には「難聴」であっても、かなりの難聴でないと身体障害者としては認められません。

 

こうした障害者福祉の現実を、はたしてどれだけの人が知っているでしょうか?

 

マスコミに大きくは取り上げられなくとも、社会の片隅で苦しんでいる人は少なからず存在します。そうした人たちから、決して目をそらすべきではありません。