豊国男の日記

日常生活の中で、考えついたことを綴ります。テーマは雑多な分野に及びます。

「下流老人」問題について考える

先日発表された2015年新語・流行語大賞に、「下流老人」がノミネートされました。藤田孝典氏の著作名ですが、本の内容はかなり衝撃的でした。日本の底が抜けた感は以前からありましたが、もはや安泰な人生が送れる保証はなくなっているようです。

 

リーマン・ショックの際に、「年越し派遣村」がかなりマスコミでも取り上げられていましたが、今やこうした事件が起きなくても、一般の人の生活は確実にむしばまれています。「現役時代に貯蓄をしておかなかったから」、「人生設計をきちんとしておかなかったから」下流老人になってしまった、というわけではないようです。

 

詳しくは藤田氏の著書を読んでいただくとして、「結婚し、子供を養育し、ローンを組んで家を買う」といった、一昔前であればごく普通のことでも、今や一歩間違えば下流老人への引き金になりかねない時代です。

 

著書には対策も述べられておりますが、日本の社会福祉政策が貧弱なことに加え、かつてあったような「血縁や地域のつながり」が消滅しかけているため、自らが下流老人に転落した際には本当に悲惨な生活を強いられます。

 

昔であれば、家を継ぐ長男が嫁を迎え、年老いた親と生活することで、老後の生活を支えました。ところが今や、年老いた親の面倒をみられるような余裕のある子供はごくわずかです。それどころか、非正規雇用がごく一般的な雇用形態となったために、中年とよべる年齢になっても親離れをして自活することができない子供も珍しくありません。

 

こう考えますと、「子供を持つこと」はもはや無視できないリスクとなってしまったようです。少子化が進むわけです。自らの生活を守るためには、子供は持たないほうが良いとは、何とも希望のない時代ですね。