豊国男の日記

日常生活の中で、考えついたことを綴ります。テーマは雑多な分野に及びます。

努力は必ず報われる?

何か物事に取り組んで良い結果が出ないと、「努力が足りないせいだ」と考えてしまう人は多いです。また、他の人からそのような指摘を受けることもあります。今回のエントリーでは、「努力すること」について考えてみます。

 

確かに、どんな分野のことであれ、怠けていては一流になれません。良い結果が出ない際に、「努力が足りない」のは真実であることも多いです。だからこそやっかいなのです。

 

何がやっかいかといえば、本人にとって精一杯の努力をしたとしても、成功しない場合は多々あります。そうした場合に「努力が足りない」とその人を責めるのは、あまりにも酷な話ではないでしょうか?

 

このようには考えられないでしょうか。「何かにおいて良い結果が出せた人は、元からそのことに対しての適性や素質があったからこそ、努力が実った」と。逆に努力したにもかかわらず、良い結果が出なかった人は、そのことに対しての適性や素質があまりなかったためだ、と。

 

甘い考えだと思われるでしょうか?しかしながら、身体条件のように目で見てわかりやすいことに関しては、誰もが同様に考えます。例をあげれば、生まれつき背の低い人に、「バレーボールの一流選手になれるよう努力しろ」などと言うことは、励ましではありません。単なる嫌がらせです。その人が、バレーボールをする上で大きなハンデを負っているのは、誰の目にも明らかだからです。

 

ところが、これが学校の勉強になると、「成績が悪いのは怠けているからだ」と考える人が実に多いです。確かに、学校で授業にろくに取り組まず、家で遊びほうけていれば、成績は良くなりません。しかし、学生時代のことを思い出してみてください。毎日きちんと登校し、授業を受けていても、成績が悪い子はいませんでしたか?残念なことですが、その子には勉強に対する適性や素質が、ほかの子に比べて欠けていたのです。頭の中身については、目で見て判断することができないため、成績が悪い原因は本人の努力不足に短絡的に結びつけられがちです。

 

良い結果が出せない人に、「努力が足りない」と責めるのはやめにしませんか?

そのほうが、ストレスの少ない健全な社会になるように思いますが、いかがでしょうか?