豊国男の日記

日常生活の中で、考えついたことを綴ります。テーマは雑多な分野に及びます。

「順位づけ」について考える

プロ野球ペナントレースが佳境に入りました。パ・リーグではソフトバンクが優勝に向けて独走していますが、セ・リーグは大混戦です。今回のエントリーでは、「順位づけ」について考えてみます。

 

私たちの人間社会も、順番をつけることで成り立っています。会社や役所の役職が、その典型でしょう。多くの人が、人生で最初に直面する「順位づけ」といえば、やはり高校入試でしょう。自分の成績と照らし合わせて、受験する高校を選びます。この場合、「入りたい高校」よりは「入れる高校」を優先することになります。大学入試であれば、一浪は計算の上で「入りたい大学」のみを受験する人も少なくありませんが、高校入試で浪人する人はごく稀です。そして高校を選ぶ際、厳しい現実に直面します。

 

正直な話、成績の悪い子にとって、高校を選ぶ自由などありません。いかに行きたくない高校であろうと、ほかに入れるところがなければそこに入るしかありません。

 

高校を卒業する際にも、「順位づけ」からは逃れられません。就職する場合、どの高校なのか、成績はどのくらいかで、就ける職業に差が出ます。大学に行くのであれば、高校入試の際と同じ「順位づけ」がまた繰り返されます。大学を卒業して就職する際にも、やはりどの大学を卒業したかによって、選べる職業に差が出ます。

 

こう見てみますと、「順位づけ」の下位に位置する人にとっては、都合の悪いことばかりです。進学でも就職でも、選択の余地はかなり限られています。ですから、皆が上を目指して頑張るわけです。人間のそうしたエネルギーが源泉となって、資本主義社会は発展してきたのです。

 

しかしながら、どうしても「順位づけ」の下位にとどまってしまう人は一定数出てきます。そうした人を救うために政治があるのです。ですから、選挙の際の投票は大切なのです。幸いなことに、この国では金持ちでも貧乏人でも一人一票が与えられています。せっかくのこの権利を、大いに活用すべきです。そのことが、より良い社会にしていくための第一歩です。