豊国男の日記

日常生活の中で、考えついたことを綴ります。テーマは雑多な分野に及びます。

高校野球に見る、現代日本の格差社会

毎年7月、夏の甲子園に向けた高校野球の地方大会が全国各地で行われます。

高校野球から、現代日本の格差社会がかいま見えます。

 

球場に観戦に行くと、応援団・チアガール・ブラスバンドといった、高校野球ではおなじみの光景があり、盛大な応援が繰り広げられます。テレビ中継でもよく見られる、夏の風物詩といってよいでしょう。

 

ところが高校によっては、確かに生徒たちが応援に来てはいるものの、応援団・チアガール・ブラスバンドといったものが見あたらず、応援といえば自校チームの攻撃中に打席に立っている選手の名前を叫んでいるだけだったりします。このような高校はおおむね野球が弱く、ひどい場合は強豪校と対戦したわけでもないのに、まるでラグビーのようなスコアで大敗したりします。そして残念なことに、こうした高校は入学時の偏差値も低い場合が多いのです。

新聞記事にも、9人の野球部員を何とかかき集めて大会参加にこぎつけた高校のことが載ったりしますが、この種の高校はおおむね低偏差値の高校です。ここでは野球を例にあげましたが、ほかのスポーツでも状況は似たようなものでしょう。今や、「勉強が苦手な子はスポーツも苦手」という場合がほとんどのようです。

 

こうしたことが起きてしまう背景に、家庭環境の問題があるような気がします。各種の調査からも明らかになっていますが、学力の低い子の親は低所得であることが多く、そうした家庭ではスポーツに親しむ環境を整えるのも難しくなります。高校に通うのにも、アルバイトをしながらようやく通っている子も少なくなく、そうなると部活動への加入状況も芳しくなくなります。結果として、「偏差値の低い高校の運動部は弱い」という状況になってしまいます。進学校の野球部員が、練習後に学習塾にも通い、大学入試のための受験勉強にも余念がない、という話とは対照的です。高校生の二極化は、このような形で表れています。

 

何か、救いようのない話ですね。高校野球の、球児たちの汗と涙と歓喜のドラマの裏には、このような厳しい現実が隠されているのです。